くらし縄文人からこころ縄文人へ          照井 勝也   

 原点は何処だったろうか。
 幼子を連れてサバイバルキャンプを始めた30代だったろうか。意識して設備の不備なキャンプ場の不便なテント生活を選んだ。いや、高校時代の夏休みに重いテントを担いで伊豆半島一周を踏破した時か。草いきれの中、地元民も敬遠する山道を藪漕ぎしながら集落を渡り歩いた。いやいや清流でカジカを突き、スグリやグミの実をポケットに道草を食った中学生の頃か。
 はっきりと縄文を意識し好んで自然の中を徘徊し出したのはサラリーマンを中途退学してからだった。会員一人の『縄文倶楽部』を創って、こころ縄文人を名乗った。
 阿武隈山地の山間(やまあい)や八溝山麓の山里に隠れ家を借りて、月に数日、広い敷地の中を流れる沢で天然のイワナを釣り、フキやワラビ、タラノメ、ワサビなどの山菜や、シバグリ、サルナシ、ヤマブドウなどの木の実や各種キノコをゲットし、蛇口からサンショウウオが姿を現す沢水とブリキの薪ストーブで食を賄う生活を楽しんだ。まさに狩猟採集の暮らしだった。
13年間続いたそんな生活も、今年の夏にピリオドを打った。地元で借りた50坪の畑も荷が重くなり縮小しようとしている。
 10年ほど前から、里山の植物や巨木、野鳥などの自然観察を、毎月地元の仲間と一緒に楽しんでいる。根っこにあるのは縄文の匂いを嗅ぎ続けていたいという思い。里山を遡れば源流は縄文に繋がる。
真性縄文人ならとうの昔に鬼籍に入っている歳になった。体力的な限界からくらし縄文人は質的に変化したが、せめてこころ縄文人であることを日々確認しながら毎日を楽しく暮らしている。
(三内丸山縄文発信の会会員・茨城県利根町在住)

 

左の写真:こころ縄文人の暮らしに威力を発揮したブリキの薪ストーブ
右の写真:釣り上げたイワナに味噌を付けて串焼きに