◆こころ縄文人の原点                            桐生正一

 

 

 戦後の混乱期から抜け出しつつある1951年(昭和26年)に生を受け、高度経済成長の歩みとともに、すくすくと育った私は、小学校入学直後に不治の病と恐れられた「肺結核」に侵され、国立療養所に入院する身となりました。今でこそ病院内にも学校が設けられ、治療の合間に学習できる環境も整えられておりますが、当時は、大人と一緒の入院生活で、人里離れた山奥の、世間から隔離された地に建設された療養所は、学習などとは無縁の世界で、ひたすら安静を保つ生活に明け暮れる日々でした。

 無事に治癒して退院の挨拶をする人、手術室から戻って来ない人など、そんな病院の厳しい様子を垣間見ながら、痛くも、痒くも無いのに、ひたすらベッドに横たわり、安静第一に努める入院生活唯一の楽しみは、両親が届ける本と三度の食事でした。「少年画報」、「冒険王」、「ぼくら」の最新号には、いつもワクワク・ドキドキさせられました。そんな雑誌の特集は、世界七不思議、エジプトやアマゾンの探検物など、今で言えばインディジョーンズ風の古代ミステリー探検的なものが多く、トロイやツタンカーメンなどは特集の常連でした。未知なる不思議に挑戦する冒険物語は、少年の心を強く刺激し「大人になったら探検家になりたい」などと本気で思い、今日の「こころ縄文人」の原点となった療養生活でした。

 無事に成長した少年は、やがて、念願叶って発掘調査員として採用され、今春3月で公職を退任した現在は、御所野縄文博物館で発掘友の会会員として、セカンドステージの「こころ縄文人」魂を燃やしつづけています。

              (三内丸山縄文発信の会会員・岩手県滝沢市在住)

 

 ▲写真は、今夏に総合調査を実施した国指定重文「朴舘家(江戸末期)」近景(右筆者、中央は館長)。(写真提供/御所野縄文博物館)