◎ ヒスイを求めて縄文丸木舟・日本海を行く!  山本 護

 子どもたちと縄文の暮らしを体験するとき、私の胸にはいつもヒスイ製の勾玉が誇らしくぶらさがっている。色は淡い緑色、そして青春の色。その美しさ、硬さから神聖なものとして崇め、魔よけや幸運を呼ぶお守りと信じ、ペンダントとして愛用している。
私の住む富山県小矢部市の桜町遺跡の約4000年前の地層から、ヒスイの勾玉が発掘されている。そのヒスイの原産地は、新潟県糸魚川市の姫川。桜町遺跡から約110Kmの距離である。縄文人はどのような方法で運んできたのであろうか?
 丸木舟を漕いで海を渡ってきたことは充分に想像できる。私の仲間は「そのことを実際に検証してみよう!」と無謀なことを考え、“ヒスイを求めて縄文丸木舟・日本海を行く!”の壮大なプロジェクトがスタートすることになる。2006年の春のことである。
 仲間たちとは、桜町遺跡のすばらしい歴史や文化を、縄文体験を通じて子どもたちに伝え、情報発信する市民サポーター「桜町石斧の会」である。
 かくして、縄文服を着た子どもたちとともに石斧を振り上げ、樹齢180年の杉の大木を丸木舟の形にくりぬいてゆく。とんでもない苦しい作業の末、出来上がったときの達成感や喜びは格別である。笑顔に流れる汗がキラリと光った。「さくら丸」と名付けられ、子どもたちに愛されるヒロインが誕生した。
 8月4日から、天気の神、海の神、そして縄文の神に見守られながら、4人ずつのリレー方式で、転覆や荒波も乗り切り命がけで漕いだ3日間。ついに縄文丸木舟による110Kmのヒスイロードの航海を成し遂げた。
 糸魚川市民の縄文人?から盛大な拍手で迎えられ、さくら丸が上陸すると、夢にまで見ていたヒスイの勾玉を首にかけてもらった。感激のあまり涙がとまらない。仲間は抱き合って喜んだ。
 さくら丸は、現代人が忘れてしまいがちな「夢とロマンと冒険」を乗せて今も子どもたちと遊んでくれる。71歳の私も「いつまでも少年時代の心で」縄文の暮らしを楽しませてもらっている。感謝、感謝。 
(桜町遺跡の縄文人)


 ▼ 今も続く、子どもたちによる縄文丸木舟のミニ航海体験