縄文のまちに暮らしている。                 川嶋大史

今から25年前、私は東京からUターンして来た。刺激が少ない田舎暮らしに飽き、同時に「なぜこれをもっと活かさないのか?」と考え続けて来たこと。それが「縄文」だった。
翌1989年には私の地域づくり活動の原点とも言える「亀ヶ岡屋外オブジェ展」がスタートした。当時話題になった「目をさませ、縄文ロマン。」というキャッチコピーは、我れながら名コピーと自負している
 JR木造駅が世界にも珍しい形状の17m級のシャコちゃん(遮光器土偶像)駅舎になったのが、92年のことだった。三内丸山遺跡の本格的な発掘調査はその頃に始まり、六本柱発見による大フィーバーは94年のこと。今思えば、平成バブル期の最期の頃。三内丸山の盛り上がりの影で、目をさましたはずの亀ヶ岡の縄文ロマンは、再び長い眠りについた。
 それでも、シャコちゃん駅の人気は衰えない。当初は奇抜で敬遠された駅が、今や観光客の「目玉」になっている。木造のまちを歩けばマンホール、掲示板、各種看板、温泉、お土産品、CM作品などシャコちゃんだらけなのである。大きなブームが来なくても、地元民はシャコちゃんをずっと愛し続けて来た。
 急展開したのは「北海道・北東北の縄文遺跡群」が「世界文化遺産登録へ」という一連の流れが出てからだ。田小屋野貝塚に続いて、今年は遂に地元自治体として初めて亀ヶ岡遺跡の発掘調査が始まった。世界遺産になってもならなくても、ここは縄文のまちである。

 

シャコちゃん駅と私