縄文人と石拾いに想いをはせて      鶴見弥生

 石を拾うのが好きです。先日、亀ケ岡遺跡の近くの海岸に行ってきました。
 冬の荒々しい海を眺めるでなく、足下に目をやりながら黙々と砂浜を歩いていると、様々な宝石に出会えます。
 木の化石、珪化木。かつて植物であったはずなのに、コチコチに石化している不思議。その木目の隙間には石英の粒が入り込み、それが神秘的な青白い輝きを放つように見え、黒い化石部分との対比がとても美しい。また、乳を流したような半透明のメノウや、色鮮やかな錦石なんかも見つけることができます。
 でもこの海岸で是非見つけ出したいのが、漆黒の黒曜石です。こどもの頃、初めて黒曜石を拾った時は、割った断面のその艶やかさに魅了されたものでした。
 縄文人は、刀や矢じりに使う実用のためのものとして拾っていたのでしょうが、その黒々とした自然のガラスに、美も見出していたに違いないと思います。例えば透かして眺めたりして……。とそこへ、砂浜のむこうから(一緒に石を拾いにきていた)人の叫び声が。「うおーーい、でっかいヒスイ拾ったぞーーー!」と勇んで駆けてきます。「ええっそんな馬鹿な……」冷静によく見ると特大のシーガラスでした……。たぶん巨大な浮き(ビン玉)のへその部分です。しかしプラスチックのブイに取って代わってしまった昨今では、これも遺石と言えるかも……? もしも縄文人がこれを拾ったら、この緑青のガラスの塊が極上の宝石として、恭しく神様や巫女様に献上されていたのかしら……。
(作陶縄文人・青森県弘前市在住)