◆縄文文化に学ぶべき現代

仙台縄文塾を2010年9月25日(土)、東北電力グリーンプラザ「コニュニティールーム」で開催。テーマは「縄文文化に学ぶべき現代」。講師は奥松島縄文村歴史資料館名誉館長・奈良文化財研究所名誉研究員の岡村道雄氏。下記はその講演の一部。

キノコ形土製品・土器

縄文里山

 

 縄文人はまだ農業は行っておらず、周囲の自然をうまく育成・管理して共存してきました。自然との共生・調和は、縄文人の基本的な生き方でした。

 三内丸山遺跡の土を分析するとクリの花粉が大量に検出され、そこにクリ林があったことがわかります。つまり、縄文人が野生クリを選択し、栽培していたということがわかってきました。去年の縄文塾でお話ししたウルシ林と同様にクリも育成・管理していたのです。

 他にもクルミやハシバミなどの木の実、山菜、キノコを採り、薪や道具の材料(木材、樹皮、蔓など)も調達した縄文里山もあったと考えられています。今や「里山」という言葉は世界的な言葉になっており、学会や国際会議も開かれるようになりました。アジアの里山の持続的な生活、エコロジーに適った生活が注目されており、その基盤は縄文時代にあったと言ってもいいでしょう。このことが三内丸山遺跡を中心にして世界に縄文をアピールしていくためのキーワードになると思います。

 

食糧の獲得と方法

 

 トチノミは最後に縄文人が、多量な加工方法を開発した木の実です。そのままではサポニンという非常に強い毒があって食べられないので、水にさらす必要があります。三内丸山遺跡では現在美術館が建っている近野地区に水の源流となっている谷があるのですが、そこにさらし棚を設置してあく抜きをしていたことがわかっています。

 東北方面の遺跡からキノコを模した土製品が発掘されています。民俗学を参考にして、トランス状態になるために食べていた麻薬的な毒キノコを模したものではないかとされてきたのですが、キノコに詳しい人の話を聞くと食べられる種類のキノコの形をしているとのことです。縄文人はキノコも食していたようです。

 昆虫食も行われていたでしょう。日本人はずっと昆虫を食べ続けてきたことはご存知でしょうか?1919年に農商務省が迫り来る戦争に備えて全国の昆虫食を調査したところ、イナゴ、ハチの子、ザザムシ、コオロギ、ゲンゴロウ、タガメなどが普通に食べられていたそうです。

 

食糧の保存・加工・調理

 

 縄文時代には囲炉裏の火の熱や煙を利用して魚や肉を低温薫製していたことや、地面に穴を掘って作られた薫製施設が存在したこともわかってきています。つまり、食糧が採れるときはたくさん食べ、採れないときは我慢するというのではなくて、採れたものを保存したり、加工して貯蔵したりといったシステムがしっかりできていたわけです。

 春から初夏の大潮の時、海水が引くと大量に貝が採れます。それを海水で茹でて剥き身にし、日に干すと塩分の付いた干し貝ができ、長期保存ができます。それは自分たちでも食べますが、山手の方にも運び出したようです。山と海との交流ネットワークがあったのです。

 縄文時代には塩も作られています。宮戸島里浜貝塚では3000年ほど前から土器で海水を煮詰め、塩を作るということが行われていました。塩は遺跡から出てきてはいないのですが、塩を作る際に使われた土器が仙台湾からたくさん出てきています。また、同じ形の土器の破片が宮城県吉岡や山形県の村山からも出てきています。このことからも山と海との間に交流があったことがわかります。

 食糧は土器で煮たり、そのまま生で食べたりで、一汁一菜のような和食の原型はすべて縄文にあったのだと思っています。

 

道具と素材

 

 縄文人は自然物を本当にうまく使っていました。その代表が粘土を使った縄文土器で、その起源は15,000年前とされ、これは今のところ世界で一番古いものです。さらに、日本では大量に作られているというのがポイントです。こんなに多くの土器が発掘される国は他にありません。後には窯を使ってより高温で焼いたり、上薬をかけたりという具合に工法は変わってはいきますが、依然として縄文時代から続く素焼き土器の伝統が日本には残っています。

 三内丸山遺跡では、クリは実をとるだけではなく材木としても使用されました。クリが実るには3年かかります。そこには自分の人生より先のことを考えて木を植えるという、縄文人の長期的な戦略が窺えます。ウルシの場合は少なくとも6、7年経たないと樹液は採れません。

 縄文人は実の利用と材の利用、そして薪としての利用と、トータルにクリを利用していました。今のようにコスト計算ばかりを考えるのではなく、多少コスト計算に合わなくても、自分のために死んでくれたのだから大切にして徹底的に使おうという思想を持っていました。これは、日本人がごく最近まで持っていた思想なのではないかと思います。

   

信仰・祭祀・送り

 

 里浜貝塚で貝殻や魚の骨などと一緒に13体分の人骨が発見されました。遺棄したわけではなく、きちんと埋葬されています。これは生きとし生けるものすべてに神が宿るという考え方によるものです。食べてお世話になった動植物にもカミがいて、あの世に行ってまた戻ってくる。人も死んだらカミのお告げでゼンマイになったり、ワラビになったり、別の形になってまたこの世に戻ってくる。そのような生と死の循環、仏教でいうところの「輪廻」の思想を縄文人は遥か以前から持っていたわけです。貝塚はただゴミ捨て場ではなく、カミに送るための神聖な場所でした。ただのゴミ捨て場ではないからこそ、海産物や壊れた道具と一緒に遺体も埋葬されていたわけです。

 縄文人はありとあらゆる物に生命が宿ると考えていたから、本当に物を大切に使っていた。そういった精神は、今でも針供養などの形で私たちの中にまだ残っているのではないかと思います。

 

高度経済成長と生活文化の変容

 

 現在、縄文以来続いてきたものとは質的に異なる列島改造が進められ、産業構造も大きく変化しました。日常生活においても電力が家庭製品に用いられるようになり、文化住宅やRCのマンションへの居住が進み、住宅事情も変わりました。日常生活や食生活、それから生業までさまざまなものが劇的に変わり、縄文以来培われてきた伝統や日本古来の文化が変容してきています。

 そのことの是非について言うつもりはありませんが、あまりの急激な変化によってたくさんお歪みがでてきているのが現代の日本の姿なのではないかと考えています。今こそちょっと立ち止まり、長く受け継がれてきた、風土に合った暮らしぶりを考え直してみる時なのではないでしょうか。

 縄文時代以来の伝統を体の中に残し、見聞きし、知っている我々が未来と過去を繋ぐ、そういったことをきちんと発言していくべきではないかと思い、わたしは遺跡のこと、縄文のことを勉強しています。 (縄文ファイル182号より一部抜粋)