◆縄文文化西東 ― 遺跡の特徴・魅力・価値 ―

2011年12月10日(土)、第94回縄文塾が青森市の男女共同参画プラザ研修室で開催された。下記の講演は文化庁記念物課文化財調査官・水ノ江和同氏。 下記はその講演の一部。

縄文文化の範囲

 

縄文文化の広がり

 

 今日は東日本と西日本の縄文文化を比較しながら、遺跡の特徴や魅力、その価値について語ってみたいと思います。

 縄文文化というのは悪く言えば閉鎖された、よく言えば日本列島という島の中で花咲いたきわめて個性的な文化です。これは、日本の周りに海があるというのが最大の理由であるのはまず間違いないと思われます。

 対馬と朝鮮半島の釜山との間は48キロ離れていて、天気のいい日には互いの島影が見えるくらいの距離です。ですが、縄文文化は朝鮮半島側にはほとんど行っていませんし、また朝鮮半島の新石器文化の影響も対馬ではみられません。どちらからも相手側の土器片や石器がでてみて人の往き来はあったものの、その数はきわめて少ない。言葉違うためと考えられますが、互いの文化に影響を与えてはいません。

 縄文文化の北限は宗谷海峡までで、40キロ離れた樺太では縄文土器の破片が多少出てきてやはり往き来はしていたようですが、住み着いてはいなかったことがわかります。千島列島は択捉島までは縄文遺跡がありますが、その41キロ北の得撫島(うるっぷとう)には縄文遺跡は見つかっていません。

 南西は久米島までで、宮古、八重山、石垣、西表、与那国といったその先の島々までは縄文文化は行っておりません。久米島と宮古島は110キロも離れていて、互いの島をみることができないのです。

 伊豆諸島は八丈島まで縄文の遺跡が確認されていますが、そこから20キロしか離れていない青ヶ島にはまだ縄文の遺跡は見つかっていません。世界遺産に登録された小笠原諸島はもっと南ですので、当然縄文文化の影響はありませんが、代わりにおよそ2000年ほど前のミクロネシアの文化のものとみられる石斧や分厚い土器が出土しています。

 

東と西の縄文遺跡の比較

 

 文化庁の集計では、現在日本には遺跡がおよそ46万ヶ所あるとされています。そのうち東日本には48パーセント、西日本には52パーセントあり、ほぼ半々です。ですが、縄文遺跡に関していえば4対1くらいの割合で東日本のほうが明らかに多くなっています。また、遺跡の規模も東日本のもののほうが圧倒的に大きく、人口も10対1以上の差があったのではないかと考えられています。出土する遺物の量も東日本のほうが当然多いです。このことからも、日本の縄文文化は東日本を中心に栄えたということがよくわかります。

 ですが、西日本でもとくに九州では多くの縄文遺跡が見つかっています。熊本県の御領(ごりょう)貝塚は全国的にみても規模の大きな貝塚です。縄文時代後期の終わりから晩期にかけての貝塚で、国の史跡に指定されています。貝塚も東日本のほうが圧倒的に多く、数の比較では勝てませんが、個々の遺跡をみると西日本でも重要な遺跡は存在しているのです。

(縄文ファイル No.196より一部抜粋)